80年代は洋楽の黄金期か?

僕は今40代前半で、1980年代は中学〜高校の多感な時期だった。先日、30代半ばの嫁と、「80年代は洋楽黄金期か?」という話をした。

この話は、僕と同世代のある有名人がツイッターで「黄金期だ!」と力説していたそうだ。洋楽の定義はさまざまだし、音楽などの主観で評価される対象は、世代によって意見が違うので、コメントするのは難しい。その有名人だって、ツイッターで言い切る前に、いろいろな前提を置いて話していたのだろう。

そういう類の話なので、僕は答えを決めつける気はないのだが、それでも「80年代は音楽的に楽しかった」とは言い切れる。

いろいろな解釈があるだろう。MTVが流行った時代、ネットも携帯電話も普及していなかった時代。この2つに共通するのは、テレビやラジオなどの既存メディアが大きな影響力を持っていた時代だ。大きなお金が動くから、有力なプロモーターが資金を抱え、さらに大きなビジネスに仕上げていく。

狭い話になるが、ロックに焦点を充てると、アメリカン・ロックとブリティッシュ・ロックのせめぎあいの時代でもあった。アメリカン・ロックは、ロスアンゼルスを中心にビックビジネス化し、あの有名なコメンテーター「渋谷陽一」氏が「産業ロックだ」と揶揄していた時代である。

ロックが産業化したことにより、クリエイティブではなくなってしまったのだろうか?そして、聞き飽きた人々が、次第に離れていってしまったのだろうか?

考えさせられる出来事はこれだ。当時、中学〜高校という暇をもてあました僕にとってはそうは思えないのだが、僕より若い嫁さんはその頃の音楽を知らない。僕が、懐かしさに胸がこみあげそうになるCDをかけても、「みんなおんなじに聴こえる」と冴えないコメントしか帰ってこない。

経済学の言葉を借りれば、ロック界が「持続的イノベーション」に終始し、「破壊的イノベーション」を行えなかったとも言える。先人たちが、独創的に活躍できたのは、もしかすると70年代から80年代前半くらいになるのかもしれない。いつの世も、どの世界も、後から生まれる人はキャッチアップができるというメリットを享受できる一方で、先人を超えるには並大抵の努力や才能ではできない。

別の解釈もあるだろう。そもそもロックとは、若者が社会に対して憤りを表現する手段であって、抑圧された何かを爆発するときに生まれる。と来れば、ベルリンの壁が崩壊して、そうしたパワーが落ちていったのだ・・・、と。「若者の草食化」と絡めて解釈する人は、この考えを支持しているものと思われる。

人と違う何かを求める、多品種少量消費社会が来たのも90年代からだ。みんなが知っている大スターを応援するよりも、インディーズ・レーベルのアーティストを応援する。ネット時代が到来し、その流れを後押しする。ロックやMJ、マドンナなどの有名アーティストから、多様なハウス・ミュージックやレゲエが流行ったのも90年代だ。

この話題はなかなか奥深い。ここでは80年代のロックも、90年代のハウスやレゲエも触れていきたいと思うが、根底に流れる変化を追うのもまた一興である。




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